10月からの東名阪ツアーは
Ist album DIFFERENCEの最後の再現ライブ。
今年5月に復刻CDが発売となり、
ポニーキャニオン通販のyahooと楽天で2週間1位、
今もアマゾンで売れ続けています。
それに加えて幻のデビューライブで演奏した
斉藤由貴さんに提供した「ONE」と独自なアレンジを施した童謡「砂山」
をバンドを交えて披露します。
学者が理論を着想するのは20代で
おおまか完成しており実証するのに一生かかると言います。
僕はただの音楽家なので、そのような偉そうなことは言えませんが、
デビュー当時の音に将来やりたいことの目を見つけることができます。
「砂山」のアレンジは、4枚目の「ただ一度だけの永遠」などの
音楽性に通じます。
若い頃の感性というものは未来を占う
霊感のようなものがある、と思えることがあります。
今、東京都美術館で開催中の藤田嗣治の展覧。
彼の作品、生涯に魅せられる要素が多いのですが、
東京芸大学生の卒業作品で「ダメな絵の典型」とまで言われ、
パリに飛び出し
ピカソら有名な画家との交流や腕時計の入れ墨、ピアス、
1920年代にビートルズみたいな髪型で時代の寵児となりました。
それは自分を認めなかった日本への反発とメッセージだったか?
絵のテクニックだけで言っても、日本の中で彼を越えられるものは
いなかったにもかかわらず「絶対に彼だけは認めない」
という風潮があったことに日本の村社会を思います。
話は変わって、作曲を学校で習う場合、クラシカルな作曲には規則があり、
習うことから始まります。
しかし、当たり前ながらビートルズなど
ポップスに当てはまらないことによく出くわします。
(プロデューサーのジョージマーティンが若干の学術を加えてはいますが)
クロード・ドビューッシーも全く言う事を聞かず、
甘美な独自な音楽で教師を納得させる。
モーツアルトでさえ、父に
「禁則の平行五度を使った曲を書いてしまいました」と
手紙を書いています。
僕は若い頃、習うことと、天才たちの振る舞いや作品との
違いに悩んだことがありましたが、
言うまでもなく藤田の様な天才は遥かなる巨人。
学術にも逆らい、逆らい続けて孤独の中でも
偉業を淡々と成し遂げるのだと教えられます。
その息吹をほんのカケラでいいから感じ取れたらと願う。
そのような天才たちへの憧れ、
翻って自分のオリジナルな音楽を、と思い作ったのが
「砂山」のアレンジです。
現在ツアーに向けてリハ中。是非この機会をお見逃しなく!
リハでシンセのボコーダーを使っているところです☺